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「…彼らがルーペをプレゼントするのは、自ら非難する武器を与えるようなものだ!」

唯一の問題は、実際には得られないものを得たと思ったときに生じるものだ。自分が手にしているのは本物の高級時計なのか、それとも本質的に絵に描いた餅なのか。

可能性として、手仕上げに多くの時間、エネルギー、労力を投入している会社は自らの才能を隠したりはしないだろう。むしろそれを誇示するだろう。もし隠すようであれば、実際にやっているのか、やっているのであれば、どのラインナップなのかを尋ねるのが妥当だろう。大量生産のラグジュアリーブランドのムーブメントに準工業的な仕上げと工業的な仕上げを組み合わせることには何の問題もないが、高級時計ブランドが何万個ものキャリバーに完全かつ包括的な手作業によって仕上げると考えるのは極めて現実的ではない。

デュフォーのシンプリシティ。この仕上げは技術的にも優れており、ムーブメントの全体的なデザインにも貢献している。大ブリッジと小ブリッジの隣接するエッジの二重のカーブはお互いを映し出しており、大ブリッジの2つの鋭利な外周の突起が2番車の内周と一致しているのは意図されたものだと思われる。

スイスにおける手仕上げの代名詞といえばフィリップ・デュフォーだが、この話題を考えるたび、数年前に彼の工房で会ったときのことが思い出される。彼は自分のキャリアにおいて、スイスの仕上げの水準が著しく低下していることを嘆いていた。彼は高級時計ブランドが仕上げに手を抜き、さらに悪いことに「…彼らがルーペをプレゼントするのは、自ら非難する武器を与えるようなものだ!」と語った(彼はロレックスのGMTマスターを日常的に愛用しており、彼の考えるよい時計とはすべて手作業で仕上げられたものだけではないことは特筆すべき点だ。彼が身につけているのを見たことがあるのはランゲのダトグラフとGMTマスターだけだが、2本だけの時計コレクションとしては悪くない)。

手仕上げには、フランクの研磨、面取り、ブラックポリッシュ、ペルラージュ、ネジ溝の研磨、ネジ溝の面取り、歯車のアームの面取り…などなど、数え上げればキリがないが、これらはすべてそれぞれに熟練した技術が必要だということを忘れてはならない。このような作業を時計全体に手作業で行うことは、現代のラグジュアリーウォッチの量産生産体制下ではどう考えてもコストが高く付いてしまうものだ。しかし、少なくともある視点から見ると、このほとんど不可能なほど高い基準こそがよい時計と、たとえすばらしい時計であってもコンセプトと仕上げのすべてが本当に優れた時計との違いを生み出しているということを理解しておく必要がある。そう、昔のゼニスがテレビCMで“The quality goes in before the name goes on.(ブランド名よりも高品質が先にわかる)”と言っていたように。

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